湯沢雄勝町院内銀山跡

Category旅行


わたくし、歴史に忘れ去られ、喧騒からも離れて、只ひたすら静寂の中に時間を刻んでいるような場所が大好きな人間であります。

きっとここをお読みの方の中にもそんな方はおられると思います。

何か嫌なことがあったり、悩めることがあるときは、ここ「院内銀山跡」をフラリと立ち寄ることがあります。


院内銀山に関しての詳細についてはこちらでお読みいただくか、下に貼り付けたパンフレットをご覧いただくこととして、院内銀山跡とは、簡単に言えば、鉱山によって賑わった街の栄枯盛衰の一つの形の具現化なのであります。

その歴史は古く、江戸初期から始まり、終わりは大正時代(閉山は昭和29年)まで続きます。

院内銀山 3


「最盛期には、戸数4,000、人口15,000を擁し、城下町久保田(現在の秋田市)を凌駕する藩内で最も大きな街となり、「出羽の都」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。」

と史実に残っていますから、まさに驚き以外の言葉が見つかりません。

そんな院内銀山跡を初めて訪れるならば、まずその前に「院内駅」に併設する「院内銀山異人館」を、予習の意味で訪問されることを強くお勧めいたします。

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入館料320円を支払って見学します。


残念ながら、メインの二階展示室は撮影禁止なので展示物はお見せできませんが、じっくり見て回ると一時間はたっぷりとかかる、実に見ごたえのある展示物の数々。

中でも、明治期に鉱山に携わった方々一同の写真の前では、もしかして自分のご先祖様がいるのではないかと思い、思わず足を止め、食い入るように探してしまうほど。

江戸期の鉱山内部の動く模型も、大変興味深いものがありました。

発掘作業により地底深くで湧いて溜まっていく水を、当時の技術でどうやって排水するか。

これがまさに百聞は一見にしかず、一目瞭然なのでありました。



ここで勉強してから銀山跡に行くか、しないで行くかでは全くその後の感想が違ってきますよ。

院内銀山
院内銀山 2


そしていざ車で5分ほど走らせ、銀山跡へと向かうのであります。
(上の地図、赤で囲まれた部分)

国道108号から本荘方面に向かって左折するとすぐに冒頭の写真「芭蕉翁碑」があります。

もちろん松尾芭蕉がここを訪れたわけではなく、この碑は芭蕉の150回忌の際(1842年)に銀山の暮らしていた俳句の先生により建立されたものとのこと。


そして鬱蒼とした杉が茂る細い道を山奥へ車を走らせると・・・

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その圧倒的な存在の証たちが現れます。。


よくここを心霊スポットと騒ぐ人達がおられますが、そう面白おかしく騒ぎ立てられても仕方ないくらいの圧倒的な墓石群です。

ここだけでも4000柱以上が眠っていると云われています。

今でも地元のお年寄りの方々によって毎年清掃作業がされているとのことで、お墓は風化を除けば良い状態で保存されています。


あじさい



これだけの墓石の前では自然にこうべが下がります。


写真を撮るのも憚れるほどです。


もしかもすれば、この中に自分の誕生に少しでも関わった人がおられるかもしれないのです。




耳をそばだてると、各国のお国訛りが入り混じった遠い昔の会話が聞こえてくるほどの静寂ぶりです。




そこかしこに崩れた墓石もあり、迂闊に歩けないほどの墓石密度。



中には地震か大風でひっくり返ったり倒れたりした墓石もありますが、さすがに自分の力だけでは元に戻してあげることはできません。

そんな中、おそらくは数百年、寄り添うようにひっそりと肩よせ合う墓石を見つけ、なぜか激しく心の琴線を弾かれてしまう私であります。




この地を心霊スポットなど呼ぶのは次元の低すぎる話。

共葬墓地からは永遠の静寂しか感じられません。。。。

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さらに奥に車を進めると、金山神社、御幸坑があります。

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「明治14年(1881)9月21日、明治天皇東北地方御巡幸の際、明治天皇が五番坑に入坑されました。これを記念し、随行者によって御幸坑と命名され、この日を鉱山記念日と定めました。稼働中の坑道の中に天皇が入坑されたのは、後にも先にもここだけだったと言われています。また、ここは院内銀山で数ある坑道の中で、唯一の鉱夫の出入り口でした。明治39年(1906)の火災事故の際、ここから逃げ遅れた鉱夫102名は、封鎖された鉄扉の向こうで亡くなりました。」(ゆざわジオパークより)


さすがにこの坑道の入り口では亡くなった方々へ哀悼の意を表さずにいられません。

鉄の扉を閉められ、中で無念のうちに死を遂げた102名の鉱夫たちの気持ち、いかばかりか。

そっと坑道に向かって手を合わせます。

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この先からは現在車で立ち入ることができません。

ですが、徒歩でならばなんとか歩くことができそうだったので、車を置き一人で山中へと向かいます。

下刈りのしていない無舗装の山道を歩くこと10分ほど、「御膳水」が現れます。

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井戸の中にはわずかながら清水が湧いております。
ですが、飲めるような状態(水量、井戸の中の沈殿物等)ではありませんでしたので、自粛です。

足早に次のポイントを目指します。


院内銀山の開発者と云われる「村山宗兵衛」翁の墓所を探しますが、鬱蒼たる草むらのせいで発見には至りませんでした。

その後さらに藪を歩くこと数分、行き止まりとなっている「早房抗」までやってきました。

川向うには「不動滝」も見えますが、長靴を履いてこなかったのでさすがにそこまでは行けません。

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この日の気温は約30℃でしたが、この坑道口の前に立つと一瞬でかいた汗が引いていきます。
それだけ凄い冷気が吹き出しているのです。

おそらく10℃以下かと思われますが、暑かったのでそう感じたのかもしれません。

でも息が白くなるほどの冷たさでした。

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冷気とともに湧き水も大量に流れ出ています。

透明度が高くとても綺麗な水ですが、鉱山から湧く水には有害物質が交じることもあるらしいので、これもまた自粛。


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坑道手前には、何かが置かれていたような台座があります。

きっと亡くなられた方々の鎮魂の仏像かなにかだったことでしょう。

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坑道は入ってすぐのところで塞がれているようですが、これだけの冷気が吹き出しているのですから、どこか地底と未だにつながっているのでしょう。

一瞬確かめてみたくもなりましたが、私がいくら無謀者でも、さすがにこの中を探索する気にはなれませんでした。


湧き水は自粛したものの、さすがに酷暑の中、藪こぎして歩いてきたのでペットボトルの水が空っぽです。

不動滝の水を詰めて引き返すことにしました。









こんな山中に本当に一万を超す人々が賑やかに暮らしていたのか、歩けば歩くほどその思いは信じがたいものへと変わります。

しかもその歴史は約350年も続いたと言いますからなおさらです。


のべ何万人、いやきっと何十万人という、かつてここで元気に暮らしていた方々のパワーを頂き、最近凹み気味だった自分ですが、どこか力がみなぎり始めたような、そんな気がする一日でありました。

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